2008年04月04日

特別寄稿

(「中の町の中・1月号」より)


               特別寄稿


 琉球新報社 中部支社報道部部長

         謝花 稔
 



一九六〇年代に、既成の価値観に縛られた社会生活を否定し、
自然への回帰を提唱した米国のヒッピー・ムーブメント。
そのヒッピーたちの間で熱狂的な支持を得た作家に
ジャック・ケルアックという人がいた。
確か彼の代表作「路上」だったと思うが、
その中に出てくる一つのフレーズが好きだ。
「変わらないもの、それは変わろうという意志」。
そういう意志、気持ちを持った人と出会うことが僕は何よりもうれしい。

 二〇〇七年の手帳をめくった。
どうやら僕は三月二十日に初めて
「BAR 10 STREET」に登場したらしい。
「ワイワイ・モッズ」、喜屋武正さんの店だったらしい。
職場の歓送迎会三次会の場所だった。
四月一日付で中部支社報道部に異動することになっていた僕は
主賓だったこともあって、心のブレーキは既に外れ泥酔状態だった。
僕は「レッド・ホッド・チリペッパーズ」の曲を歌いながら店に乱入し、
長時間にわたりマイクを独占していたらしい。

 「らしい」…。読者のみなさんが気付いている通り、僕には記憶がない。
後日、その夜の出来事の詳細を後輩に聞き、赤面した。
そして中部支社着任後の六月中旬、
喜屋武さんへの謝罪の言葉を胸に再び「ワイワイ・モッズ」を訪れた。

 人間の器も身体も大きい喜屋武さんは
「気にしてないよ。いつでも飲みにきてください」と優しく言ってくれた。
それも束の間、喜屋武さんは「BAR STREET」、
そして中の町に対する熱き思いを一方的に語りだしたのだった。
話は一時間でも止まらなかった。次々と夢が出てきた。
僕はその姿勢に「変わらないもの、それは変わろうという意志」を感じた。
そして「中の町応援隊」を応援する決心を固めたのだ。

 「中の町応援隊」の目的はただ一つ
「街を再び盛り上げよう」ということだ。
そこには「行政頼みではなく自分たちの手で」という決意、
既成の価値観を打破しようという意気込みも込められている。
彼らはこれから「中の町」というブランドを生かしつつ、
新しい街づくり、魅力づくりを進めるという難題に挑まなければならない。

 よく言われることだが、街づくり、街の活性化には「四人衆」が欠かせない。
何を言われても信念、意志を貫く「ばか(頑固)者」。
ばか者を支える「おせっかい者」。三人目は「若者」。
街を新しく生まれ変わらせるためには、若い感覚も必要だ。
そして最後は「よそ者」。よそ者の方が客観的に物事が見える場合が多い。

 僕は那覇出身の「よそ者」である。
さらに過去二回の「BAR STREET」祭では、
ほぼ二軒目で撃沈するほどの「ばか者」だ。
店を持っている当事者でもない僕ができるのは
「中の町応援隊」の応援し続けることぐらいしかない。
「よそ者」と「ばか者」(頑固さの部分はないが)の
要件だけは十分満たしているはずだ。






  

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2007年10月06日

「中の町の中」初投稿記事

中の町の中始まって依頼の
投稿記事です。
記念すべき第1号はミスターオタッキーこと
和宇慶勲氏の投稿。
わうけワールドをどうぞご堪能ください♪


 投稿  和宇慶 勲

「映画に見る中の町」

 1976年製作の東映映画に「沖縄やくざ戦争」がある。
東映独特のぶっ飛んだテイスト満載の
味わい深い作品である一方、
沖縄ロケも満載だ。
左側通行の道路、今以上にアメリカンな雰囲気のコザ、
昔の那覇空港等、今は無き懐かしい風景の詰まった
タイムカプセル的作品としても評価したい映画である。

 コザを仕切る親分を演じる千葉真一の
意味不明の行動がすごい。
オープニング、開店したばかりの本土系の居酒屋チェーンに
乱入するレイバンのサングラスに迷彩ズボンの千葉真一、
突如、空手の型を演じて後、店員をぶっとばすは、
テーブルを破壊するは、本土嫌いとはいえ、迷惑極まりない。

 千葉真一の迷惑行為の前に
中の町社交街入り口のワンシーンが入るので、
彼が破壊した居酒屋チェーンが進出した場所は
中の町だと考えられる。
残念なのは社交街入り口以外の飲み屋が
セットだったことである。
  

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