2007年12月20日
「中の町 昔・今・未来」 その③
(「中の町の中・11月号」より)
官公庁街から社交街へ

↑区画整備直後の中の町
司会 「今日は皆さんに昔の中の町について
いろいろなお話を伺いたく集まっていただきました。
早速ですが、この地域が何故『中の町』と呼ばれるように
なったのか教えていただけませんでしょうか」
志津子「たしか町の名前は公募で決まったって聞きましたよ」
宮平母「青山(洋二)先生が付けた名前だって聞いてます」。
比嘉 「実はここに資料をお持ちしたのですが、
六十二の名前の案が出されて、
その中から青山先生が提案された『中の町』が選ばれたんです」。
司会 「自然発生的に呼ばれるようになった
名前ではなかったのですね」。
比嘉 「戦後すぐに復興に向けての土地区画整備事業があって、
新しく出来た町の中心地という意味で
『中の町』が選ばれたようです。
上地地域の皆さんは、ここを区画整備して官公庁も全部誘致して、
地域の容積率まで考慮した
壮大な計画を立てて作られた町だったんですよ」。
宮平娘「そうそう、昔は官公庁がたくさんありました」
恒子 「法務局も裁判所もここにあったんですよ」
宮平母「通りには『税務署通り』とか今も名前が残っています」
司会 「上地地域の皆さんの願い通り
官公庁がたくさん出来たのですか?」
恒子 「ここらへんは官公庁だらけだったんですよ」。
宮平娘「裁判所、法務局、警察署」
宮平母「郵便局もあったし税務署も。
郵便局の側には社会福祉事務所もあったのよ」
志津子「琉米親善センターもありましたよね」
司会 「重要な施設ばかりですね。全部中の町にあったんだ」
比嘉 「地域がちゃんと誘致活動もして。
重要な施設はみんな中の町にありました。
昔は車社会じゃなかったから
これだけの官公庁があっても成り立っていたんです」。
恒子 「官公庁の人を相手にした商売をする人たちも
どんどん入ってきたんですよ。
必要があったから飲食店も出来たんです」。
志津子「下の方には『弁天横町』があって。
グランド通りのちょっと向こうに『ジャンジャン横町』があって、
両方からいろんな店が中の町に向かって
流れ込むように増えてきて、
あっという間に中通りは今みたいな感じになったのよ」
司会 「私はその説を以前に聞いたことがありました。
上と下の繁華街の真ん中にあるから
『中の町』と呼ばれるようになったと」。
比嘉 「違う違う。それじゃなかったんです」。(笑)
志津子「本当にすごい勢いで飲食店が増えていきました。
あっという間にお店でいっぱいに」。
比嘉 「増えたのは飲食店だけでもなかったんです。
官公庁があるということは
そこと関わりの深い事務所もやってくる。
例えば司法書士とか代書屋さんとか翻訳事務所とか」。
司会 「ああ。今でもこの地域にはそういう事務所の看板が
結構ありますよね。官公庁がたくさんあった頃の名残だったんですね」。
宮平母「うちも官公庁があったから商売ができたんですよ。
帳簿類とか伝票とかたくさん買いにきてもらいました」。
比嘉 「だけど時代が移って車社会になってくると
駐車場が確保出来ずに官公庁が一つずつ移転していって。
それを止める対策がなかなか打てなかった」。
司会 「官公庁が去って残ったのは飲食店ばかりになり、
今現在の『中の町』につながっていったんですね」。
比嘉 「そういうことです」。
司会 「そういう形で公募してつけられ、
認知されている『中の町』という名前が
結局行政地番にならなかったのはどうしてなのでしょうか」。
比嘉 「地域の人はやはり元々の『上地』という地名にも愛着があるんです。
地域を分けて、『上地』と『中の町』両方の名前を使おうという
案も出ましたが、議論する中で最終的には全部『上地』になりました。
本当は沖縄市で一番最初に地番が『何丁目何番…』と
表示されるはずだったのに
長年もめているうちに後回しになってしまった(笑)」

つづく…
官公庁街から社交街へ

↑区画整備直後の中の町
司会 「今日は皆さんに昔の中の町について
いろいろなお話を伺いたく集まっていただきました。
早速ですが、この地域が何故『中の町』と呼ばれるように
なったのか教えていただけませんでしょうか」
志津子「たしか町の名前は公募で決まったって聞きましたよ」
宮平母「青山(洋二)先生が付けた名前だって聞いてます」。
比嘉 「実はここに資料をお持ちしたのですが、
六十二の名前の案が出されて、
その中から青山先生が提案された『中の町』が選ばれたんです」。
司会 「自然発生的に呼ばれるようになった
名前ではなかったのですね」。
比嘉 「戦後すぐに復興に向けての土地区画整備事業があって、
新しく出来た町の中心地という意味で
『中の町』が選ばれたようです。
上地地域の皆さんは、ここを区画整備して官公庁も全部誘致して、
地域の容積率まで考慮した
壮大な計画を立てて作られた町だったんですよ」。
宮平娘「そうそう、昔は官公庁がたくさんありました」
恒子 「法務局も裁判所もここにあったんですよ」
宮平母「通りには『税務署通り』とか今も名前が残っています」
司会 「上地地域の皆さんの願い通り
官公庁がたくさん出来たのですか?」
恒子 「ここらへんは官公庁だらけだったんですよ」。
宮平娘「裁判所、法務局、警察署」
宮平母「郵便局もあったし税務署も。
郵便局の側には社会福祉事務所もあったのよ」
志津子「琉米親善センターもありましたよね」
司会 「重要な施設ばかりですね。全部中の町にあったんだ」
比嘉 「地域がちゃんと誘致活動もして。
重要な施設はみんな中の町にありました。
昔は車社会じゃなかったから
これだけの官公庁があっても成り立っていたんです」。
恒子 「官公庁の人を相手にした商売をする人たちも
どんどん入ってきたんですよ。
必要があったから飲食店も出来たんです」。
志津子「下の方には『弁天横町』があって。
グランド通りのちょっと向こうに『ジャンジャン横町』があって、
両方からいろんな店が中の町に向かって
流れ込むように増えてきて、
あっという間に中通りは今みたいな感じになったのよ」
司会 「私はその説を以前に聞いたことがありました。
上と下の繁華街の真ん中にあるから
『中の町』と呼ばれるようになったと」。
比嘉 「違う違う。それじゃなかったんです」。(笑)
志津子「本当にすごい勢いで飲食店が増えていきました。
あっという間にお店でいっぱいに」。
比嘉 「増えたのは飲食店だけでもなかったんです。
官公庁があるということは
そこと関わりの深い事務所もやってくる。
例えば司法書士とか代書屋さんとか翻訳事務所とか」。
司会 「ああ。今でもこの地域にはそういう事務所の看板が
結構ありますよね。官公庁がたくさんあった頃の名残だったんですね」。
宮平母「うちも官公庁があったから商売ができたんですよ。
帳簿類とか伝票とかたくさん買いにきてもらいました」。
比嘉 「だけど時代が移って車社会になってくると
駐車場が確保出来ずに官公庁が一つずつ移転していって。
それを止める対策がなかなか打てなかった」。
司会 「官公庁が去って残ったのは飲食店ばかりになり、
今現在の『中の町』につながっていったんですね」。
比嘉 「そういうことです」。
司会 「そういう形で公募してつけられ、
認知されている『中の町』という名前が
結局行政地番にならなかったのはどうしてなのでしょうか」。
比嘉 「地域の人はやはり元々の『上地』という地名にも愛着があるんです。
地域を分けて、『上地』と『中の町』両方の名前を使おうという
案も出ましたが、議論する中で最終的には全部『上地』になりました。
本当は沖縄市で一番最初に地番が『何丁目何番…』と
表示されるはずだったのに
長年もめているうちに後回しになってしまった(笑)」

つづく…
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この記事へのコメント
フム、フム、
ナルホド、
そういうことで「中の町」だったんだ・・・・
ナルホド、
そういうことで「中の町」だったんだ・・・・
Posted by パイパティローマ
at 2007年12月20日 20:30
at 2007年12月20日 20:30ここでは座談会のごく一部しか紹介していませんが
なかなか奥深い町でございます^^
なかなか奥深い町でございます^^
Posted by 町子 at 2007年12月21日 01:40

